北海道唯一の国宝です

海保の 巡視船写真を探していたら、旧南茅部町で発見され、平成19年6月8日に国宝に指定された中空土偶の写真を見つけました。
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2004年に大船遺跡の展示館で見たものですが、今は新し出来た函館市縄文文化交流センターに展示されているようです。 http://www.hjcc.jp/ ここは↑新しく出来た道の駅が併設されているみたいです。
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何かニックネームが付いているようですが、古いコンデジで画素数が少ないのとピンボケで何が書いているのかわかりません。
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他にも土器などの埋蔵品も数多く展示されていました。
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この時はちょうどSTVのアナウンサー(名前忘れた)とカメラマンが資料映像(たぶん)を撮りに来ていました。 ちょっと映ったかも(笑)。

暖かかったねぇ

今日は 暖かくて、プラス6度の3月下旬の気温になったみたいです。 実際外に居ても寒いと感じませんでした。(寒く感じるほど居ませんでしたが) このまま春になってくれればいいんですが、まだ二月も始まったばかりなのでまだまだ安心できません。 夜になって融けた雪が固まってツルツルになると危険も倍増です。 ツルツル路面といえば思い出す事があります。 道が俗に言うブラックアイスバーン状態で、正にツルツル。 新川沿いの交差点で止まった時の事でした。 二車線道路だったんですが停車位置が結構な坂になっていて、そこの一番先頭においらが停まりました。 その時は軽のFFのMTに乗っていたんですがスタッドレスだし、「こりゃ、上れるかな?」と思っていると、隣にセダン4WDが停まり、こっちが軽だったせいなのか後続車がセダンの後ろに長い列を作りました。 おいらの後ろには誰もいません。 信号が青になりその時、「ギュルルルル」とタイヤが空転する音が聞こえ、隣のセダンがスリップして全く上がっていきません。 「おいおい、四駆が上がらんか?」 おいらは冷静にギアをセカンドに入れてサイドブレーキを引き、エンジン回転を上げながらゆっくりとクラッチをはなしていき、サイドブレーキを解除(教習で習いましたねぇ)していくとすんなり坂を上がっていきました。 おいらがそのまま走って行くと、バックミラーに長い車列のライトが遠ざかっていくのが見えました。 それでも次の信号で停まっていると、先ほどのセダンがまた隣に停まり、今度はほとんどの後続車がおいらの後ろについていました(笑)。 その時は「四駆でも過信してはいけないなぁ~」と思いながらも、「軽だからってナメんなよ!」って思ったのでした。 いや、やっぱり、結局はドライバーの腕ですかねぇ(爆)。

トラウマ?

一年に 一回は思い出す物があります、その物の名は、 「ミスターピブ」。 子供の頃に発売されていた飲み物なんですが、 これが、いったいどんな飲み物なのか?全くわからずに飲んでいました。 コカコーラの販売機に地味な茶色の缶、黄色い?文字だったかロゴが書いてある、 とても売る気があるとは思えない見た目をしていたのでした。 当時の値段とか詳しくは全く覚えていませんが、炭酸飲料だったかなぁ?ひとつだけ鮮明に覚えている事があります。 それは、 ひじょぉ~~~にマズかった事。 コーラの販売機に入っているので、子供は当然甘いジュースだと思って飲むわけですが、 これがとんでもない間違いで、辛い!から~いのでありますよコレが。 でも、少ない小遣いで買った物なので捨てるのは勿体無い、 我慢して一缶飲んで、もう二度と買うもんか!って思うんですが、 次に何故かまた買ってしまうんですわ。 結局はうまかったって事になるんでしょうか?。 何か常習性のある物が入っているんじゃないかと子供心に思ったりしていましたが(笑)、 今で言えばスパイシーって言うんでしょうかねぇ?。 今はネットでガラガラポン!と答えが出るので謎でも何でもないわけですが、 ネットが普及するまではホントに謎でした。 大人になってホントにマズかったのか試してみたいもんですが、 とっくの昔に生産中止になっているのでそれもかないません。 ドクターペッパーっていうドリンクと味が酷似しているらしいんですが、 そういうものが北海道で売られているのを見た事が無いので試す事も出来ませんねぇ。 なんか、トラウマのようにいつまでも記憶に残っている、 ミスターでした。

かくかく、しかしか

何日か前に 石狩街道で野生の鹿が車に撥ねられて、動物園に保護された、というニュースがやっていましたが、 それで思い出しました。 2、3年前だったと思いますが、おなじみのスタンプラリーで根室方面に行った時の話です。 その時は車で、朝の9時の開館時間に間に合うように夜中に出発、 ずーっと走って浜中町をすぎて厚床まで行ったところで時間はまだ朝の7時前だったと思いますが、 厚床からしばらく走っていると、前から大型トラックが走ってきたのですが、 運転席側のフロント部分がグシャッと潰れています。 その時は、 「直せばいいべやなぁ」と横で寝ているヨメに勝手に話しかけていたんですが、 しばらく走って行くと進行方向の路面に黒い大きな線が現れました。 良く見るとドス黒くなっている血の跡なんです。 「うぉ!」思わず声が出ましたが、 それが蛇行しながらずーっと先まで続いていました。 2、3キロ続いていたんじゃないかと思いますが、 やがてその原因が現れました。 反対車線のパーキングに大きな鹿の体が横たわっていました。 足なんかはぐちゃぐちゃで・・・・・。 たぶん、トラックかなんかに轢かれて引き摺られて来たんだと思いますが、 !? と、いう事で思い出したのが、さっきすれ違った大型トラック!・・・・・が犯人かどうかはわかりませんが、 確率はもの凄く高いですね。 でも、なんで反対車線に? この厚床から根室の道の駅間は鹿との衝突事故が多いみたいで、夜間の走行には注意が必要なようです。 と、いってもこの区間は車のペースが高速道路並みに速いので、いきなり飛び出して来ては避けようがありませんが。 これがバイクだったらこっちが完全にアウトです。 道の駅でスタンプを押して現場横を再び通ると、 黄色い開発局の車が止まっていて、2人のオヤジが途方に暮れていました。 かなり大きかったですからね、鹿。 道内どこでも鹿はいますので、気を付けなければ! というお話。

ヒデキもびっくり!

この話は、 まぁ、おいらにとっては笑い話なんですけど。 かなり前に車のディーラー主催の○○ラリー(スタンプラリーみたいなもの)というのに参加した時の事、 そのチェックポイントに札幌で有名な温泉が書いてありました。 今では本場インド人が作ったカレーというのが有名な所で、当時から温泉は人気がありました。 広い駐車場もほとんど満車状態だったのですが、 ラリーの問題の答えを探しながら車でウロウロしていると、 一人の色黒の男の人が手招きをして駐車場の空いている所を指差しています。 「ああ、車を停める所を探しているのと勘違いされたんだなぁ」 と嫁と話しながら近付いていくと、 その男の人はあきらかに日本人ではない。 どー考えても「本場の人」だ。 更にその人が腕いっぱいに抱えていたのは・・・・・・・。 ハ○ス・バーモ○トカレーの箱、しかも大きい業務用。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・∑(lll゜д゜)ェ。 とりあえず車を停めてその人が去っていくのを二人で見ていました。 おいら 「今さぁ、バー○ントカレー持ってたよなぁ」 ヨメ 「持ってたねぇ」 おいら 「ここ、本場インド人がカレー作ってるんだよねぇ」 ヨメ 「そう書いてあるよぉ」 温泉の入り口の看板にはそう書いてありました。 本場のインド人がバーモン○カレーでカレーを作っている?、 間違ってはいませんが・・・・・。 ・・・・・苦笑・・・・・。 絶対見間違いじゃない・・・・・、 でも、市販のルーをお店で出しているとは限らないし(絶対無いと思いますが?)。 たぶん、家族用ので・・・・・。 でも、あの状況では勘違いさせますよ~。 帰りの車の中は、この話題で話が尽きなかったのでありましたぁ。

初めての青キップ

当時の 北見峠は自動車専用道路もなく(あっても原付は通っちゃダメだが)、 くねくね曲がった急な上りのある峠だった。 そこを登坂力のない50ccで上るのは大変で、 ほとんどが追い越し禁止区間。 後ろに車がくると路肩によって行かせるのだが、 そのうち大型トラックの後ろに追いついて、 その後ろを気長に走って行くという方法を思いつく。 そうすれば後ろを気にする必要がない。 遅いのはおいらじゃないし・・・・って。 峠の頂上についてパーキングで一休みしたが、 何かお店でもあったかな?記憶がないなぁ。 エンジンが異様に熱かったのを覚えているが・・・。 とっとと出発した記憶しかない。 下りにはいるとエンジンを冷やすのと燃料節約のために惰性で行ける所までエンジンをかけないで走った。 ギアをニュートラルにして減速はブレーキのみ。 今思えば危険な事をやっていたものだ。 スピードはかなり出たなぁ、 急カーブに気をつけていればなにも支障はなかった。 かなり楽に走れた気がする。 上川町から旭川を通って(ここいら辺の記憶は全くなし)深川まで走ったところで雨が降ってきた。 「雨かい!!」降ると思ってなかったので合羽なんか持っていない、 丁度腹が減っていたので小さなドライブインに入った。 最初にラーメンを頼んで、 食べ終わった後に物足りなくてカレーライスを注文したら、 奥さんが「あら~!」って笑っていたのを覚えている。 一人旅に出て外食なんて初めてだったので、 普段やらない事をやると、 「なんか大人?」って一人で思ってた。 今はもうドライブインはやってないが、建物と看板はまだ健在で、 横を走るたびに懐かしく感じるのな~。 店を出ても雨は降っていた、 諦めて走り出す。 季節は秋だったのでさぶい!。 ヘルメットは古いジェットタイプでゴーグルなし、 フライトジャンパーにジーパンって格好だったのである。 寒くないわけが無い。 それでもしょうがない、 一生懸命走ったさ。 浦臼の、今で言えば道の駅辺りに来た時だったかな、 対向車がパッシングしてきた。 「なんだよ!」って思ってバックミラーを見ると後ろに車がついている。 ちょっと見る角度を変えると白と黒。 途端に、ウ~!「はい、止まって~」だってよ。 こん時はミラーが右側しかついてなかったんで、 その死角に隠れてついてきてやがったんだ。 ってことはよ、どこ走ってやがったんだい? おいらは左側ギリで一所懸命走ってたんだよ? この雨の中、止めんじゃないよ!って思ったね。 公務員が降りてきて、 「コレ何シーシー?」って聞くので、 「50です」っていうと、 「ハイこっち来て~」って、 後はご存知の通り。 初めて捕まりましたよ。 12キロオーバーぐらいだったけど、 スピードは出ちゃうもんだから、仕方ないわね~。 その後も懲りずに吹っ飛ばして、 無事に我が家に帰る事が出来ました。 その後は3年ぐらい乗ったかな? 色々あったけどそれはまた、 ネタが無い時ね。

初めてのツーリング

最近 ネタが無いので昔話をしているが、 今日もコレといったネタが無いので、 二十歳の時に乗っていた原付の話をしようかと。 まだその時に、免許はあったが車を持っていなかったおいらは、 よく遊びに行っていた伯父のうちにあった原付を借りる事になった。 それはホントは8歳年上の従兄弟のもので、 もう乗らないために実家において置いたのだが、 そいつを貸してもらった。 のはいいのだが、そいつを我が家へ乗って帰えらにゃならん。 そして伯父の家は佐呂間町。 かくして、いきなり佐呂間~我が家間約300kmの初ツーリングが始まった。 今まで列車や親の車でしか行った事の無い佐呂間から、 単独で、しかも50ccで帰ってくるという、 わかる人が聞いたらげんなりするような話でも、 当時のおいらはもうワクワクしていた。 で、肝心の50ccは何と言う名前かというと、 名車、
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HONDA CB-50JX-1 である。 当時2サイクルエンジンが主流の時代で、 スポーツタイプ50ccでは当時唯一の4サイクルエンジンを積んでいたCB50は、 エンジンの形もカブなんかと違って上クラスのバイクのような作りで、 燃費もよかった。 その時点で発売から10年ぐらい経っていたが状態もよく、 足が抜けていたのとマフラーにヒビが入っていた以外は問題なしのノーマル。 少し音が大きいぐらいが周りに認知されやすくていいのだ。 さて、佐呂間町から帰郷のために走り出したのだが、 このバイク、リミッターなんか付いていないのでスピードが出る出る。 2サイクルのような加速は無いものの、 確か、エンジン回転が1万回転以上まわったハズで、 思いっきり引っ張れば出だしのもたつきは感じなかった。 原付は制限速度30キロと決まっているが、 そんなのを守るわけも無く、 平地の直線ではメーターを振り切って走れた。 でも、不安などは全く感じなかったなぁ。 若い時は事故るなんて考えないし。 しかし最初の峠、 生田原町(当時)と佐呂間町を分ける旭峠に入ると途端にペースが落ちる。 所詮50cc、トルクが無さすぎで、ギアを落とさないと上らず、 でもギアを落とすとスピードが出ない。(体重が重かったという話も?) そんなに大きな峠ではないので何とか上ると今度は下り。 かなりエンジンが熱を持っていたので、 今度はエンジンを切って慣性で下ってエンジンを冷やしながら走った。 対向車は「随分静かなバイクだな」と思っただろうな。 そして、丸瀬布、白滝を抜けていよいよ最大の難関、 北見峠に入ったのだ。

おいらの大冒険

昔の 話といえば、 小学3年の時、初めて1人で冒険をした。 当時住んでいた所から自転車で石狩町(当時)の新札幌団地(今は花川という)まで行くという、 それはそれは、思い付きにしてはかなり距離のある道程だった。 自宅からいつも遊んでいた牧草地まで行き、 いつもは用水路でトンギョとかエビなんかを取って遊んでいたんだけど、 なんか思いついたんだろうねぇ、 防風林の向こうへ行ってみたくなったんだわ。 ガキの時って当然ながら行動範囲が狭かったし、 防風林が怖かった。 子供からすればジャングルだもん。 とりあえず行ける所まで行ってみようと思って走り出したけど、 道は砂利道で車は少なかったけど、たまに通ると埃だらけになる。 一生懸命走ったよなぁ。 防風林を越えて屯田に入るとまだ畑しかなく、 今で言えばホクレンショップの所の道を石狩に向かって行った。 道中の景色は覚えていないんだけど、 行き成り凄い建物が現れたのを記憶している。 「スカンジナビア館」。 看板にはそう書いてあって、 色んな国旗がはためいていた。 しばらくポカンと見ていたのを覚えている。 だってねぇ、今まで見たことの無いデザインだったんだもん。 もう取り壊されて女子大の敷地になっているらしいね。 それからどっちに行ったか覚えてないんだけど、 またまた、インパクトのある建物が。 ボウリング場。 なんと、ボウリング場があった。 でっかいピンが屋根の上にのっていたように記憶しているが、 定かではない。 ボウリングというのは中山律子さんのおかげで知ってはいたが、 その施設を見るのは初めてだったので、すんごく怪しく見えた。 そしてその時はもう日が傾き始めていたので、 そこから来た道をそのまま引き返して帰ってきたが、 周りなんか見ないで一目散に帰ってきたのだった。 見慣れた景色になった時は凄くホッとしたのを覚えている。 帰ってから親に冒険の話をしたが、 いつも通り、関心なさそうに、 「そんなわけない」「できるわけがない」 で、信じてくれなかった。 わかってはいたけどね。 子供ってそうじゃないんだよねぇ。 当時の背景がわからない人には??だろうけど、 今でも自分では自慢の一つだよ、へへへ。

金市館の割子そば

テレビで 島根県の事をやっていて、「割子そば」が映っていた。 おいらはこの「割子そば」が大好きだった。 といっても、島根には行った事はなく、 食べたのはデパートの食堂。 昔、狸小路にあった「金市館」デパート、 その最上階にあった食堂のメニューに「割子そば」があった。 当時小学生で、母親に連れられて買い物に行くと必ずそこで昼食、 おいらが頼むのは必ず「割子そば」だった。 その時代は、外食する事なんて中々なかったので、 そういうのも手伝って「割子そば」が一番美味しいと感じたなぁ。 でも今見ると本場の物とは違って、 多少アレンジしてあったようだ。 丸い木の皿が重なって5段、 そばつゆを入れる皿も同じく5段あって、 中には5種類の薬味が入っていた。 まさに!一度に5つの味が楽しめる。 その中でもハッキリ覚えているのが、 一番上にのっていた白身魚の天ぷら。 これがねぇ、揚げたてでねぇ、 もう、最高に美味しかった。 たぶん鱈だと思うんだけどなぁ?。 もう一回食べたいなぁ~、 あれからそば好きに(麺類は全部好きだけど)なったと言ってもいいもんなぁ。 それでも中学生になって親と行動をしなくなって、 そのうちにメニューからなくなっていたのを知った時は悲しかったなぁ。 結局はラルズになって面影すらなくなってしまい、 もう足を運ぶ事もなくなったけどね。 子供の頃住んでた所からテレビ塔の文字盤がはっきり見えたし、 国道からは遠くに走る機関車が見えた。 いや~懐かしいなぁ~。

茨戸ハワイランドってあったなぁ

フラガール を見ててまた思い出した。 茨戸ハワイランド。 もう無くなってどの位経つか。 石狩町(当時)にありながら隣市の地名「茨戸」を名乗っていた為に茨戸にあったと思っている人が多いようだが、 決して跡地に札幌テルメ(当時)が建った訳ではない。 テルメは「茨戸公園」の跡地に建ったのである。 場所は今で言えば石狩市「緑苑台」の向かい、旧国道、 跡地が打ちっぱなしのゴルフ場になって久しい。 そういえば今も裏にある病院も「茨戸」を名乗っているなぁ、 まぁ、当時の住所「花畔」(多分)を使って、 「花畔ハワイランド」っていっても 「どこだそりゃ?」って思う人がほとんどだったんじゃないかなぁ? だから隣市の地名を使ったんだと思う。 茨戸公園は当時メジャーな公園(多分)だったはずだし。 生まれて初めて外人を見たのもそこだもん。 当時、近くに住んでいたが、 ハワイランドに行ったのは1回だけ。 当時小学生。 当然親に連れて行ってもらうしかなく、 何で行く事になったんだろうなぁ? あんまり記憶に無いが、 「また行きたい!」とは思わなかった。 小学生にはただのプールだもんなぁ。 やっぱりそういうのが閉鎖の理由なのかなぁ? プールなら石狩町民プール(今の図書館辺り)ってのが当時あって、 夏はそっちによく行っていた記憶がある。 監視員のオヤジがうるさかったなぁ。 ハワイランドには回転式の展望台があってそれは乗りたかったねぇ。 でも自力で行けるようになった頃にはもう廃墟になっていて、 展望台は真っ先に撤去されていた。 廃墟はしばらく残っていたが、 いつ解体されたのかは定かではない。 が、今じゃどうでもいい話かぁ。

ちょっと思い出した

北海道も秋の行楽シーズン にいよいよ突入。 と、考えていたら、 若い時に街なかで観光客のおばさん2人に道を聞かれた時の事を思い出した。 「すいません、ここら辺においしいラーメン屋があるって聞いたんですけど?」 と聞くので、 「なんて店ですか?」 と聞くと、 「あらぁ、何だったかしら?有名な所だった筈だけど?」 ???。 「ちょっと分からないですねぇ」 と返すと、 「じゃぁ、どこかおいしいラーメン屋さん知りません?」って。 はぁ~?って感じじゃないっすか? 結局は何処でもいいんですかい? これでも当時はラーメン通(自称)だったので、 「この辺にはおいしいと思う所は無いですねぇ」 と言うと、 「いやいや、ラーメン屋ならドコでもいいの」 って最後にはこうだ。 (いったいなんやねん!そんなにラーメン食いたきゃしっかり自分で調べて来いや!) と心の中で思っていたが、 「この辺はちょっと分からないですねぇ」 と大人の返事をしておいた。 って言うかさぁ、観光に来る人達は何しに来るの? 観光に来るって事はさぁ、 ある程度自分なりの計画ってものをもって来るんじゃないの? ツーリングに来るライダーの方がよっぽど計画性あるわ。 今でも結構、北海道の広さを自分の県の縮尺で考えている人が多いようで、 道産子が聞くと「え~!そんな時間で着けるの~?」って言うくらいの 行程を言う人もいるって聞いたことがある。 信じられねぇ、 北海道はなまら広いんだべさ~ って、 ふと思ったわけ。